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2007年1月26日 (金)

1月25日

1.三方原の戦い  徳川家康が逃げるときにウン○もらしたやつ。

家康は携帯食料の味噌が漏れたと弁明したが、

部下たちは、「殿、おウン○をお漏らしになられたのですか~ ウヒャヒャ」

と笑ったとか。  その屈辱を二度と忘れないために、

有名なしかめっ面の自画像を書かせたらしい。  (一部フィクション)

 

2.カノッサの屈辱  と言っても、昔やっていたテレビ番組のほう。

また見たいな。スカパー!でやってくれるだろうか?

→スカパーで入力すると、「スカパー!」って出る。さすがATOK。

 

3.今野泰幸 背番号が4だったって話をきいて、あーそうだったっけか?

もう、記憶が薄れているな~としみじみと実感。

それとも今の4番さんのインパクトが大きいからか。

 

4.平徳子(建礼門院)

悲劇の人。夫(高倉天皇)、父(清盛)に先立たれ、

壇ノ浦で母、息子(安徳天皇)、兄は入水、または斬首。

一人生き残り、寂光院にて菩提を弔う余生を過ごした。

また、大原に行ってみたくなった。  

 

(了)

2007年1月25日 (木)

1月24日

今日は、弊社の埼玉工場へ出張。

午前は、工場のみなさんへに対して、当社製素材の特徴、加工上の注意点、表面処理の講習会。

午後は、生産改善活動の情報収集やアドバイスなど。

 

というわけで、6時16分発の新幹線に乗るため、前日に目覚し用のケイタイ2個を5時20分にセットしておいた。

そしたら、目が覚めたら、5時40分!! ケイタイ2個は握り締められていた(ォィ)。

 

ヤヴェー!!

(というか、こんなギリギリの時間に目が覚めるってのも、ある意味奇跡だわな~)

慌てて、支度して、出発し、何とか6時10分に到着。。間に合った~ (=´~`=)

 

新幹線の中で、発表資料の再確認、細かなところ訂正してたら、あっという間に大宮に。。

それから埼京線~武蔵野線乗り継いで、朝霞台まで。

 

発表は、午前が3時間もあって、間が持つかな~と不安だったが、

しゃべり続けているうちに、あっという間に12時半に。。。

みんな興味を持って聞いて頂いて、質問も沢山あって、ホントウレシカッタ~ 

(こないだの郡山工場での講習会では、資料が不完全で、

誰も理解できなかったようで、悪いことしたな~と思っていたので、そのこともあってウレシカッタ。

 

午後は5S活動、改善活動とかのお話。

埼玉工場は小さな工場で、まさに町工場の雰囲気で、みんな分け合い合いとしてて、

色んな話をした。雑談も多かったけど。

 

あとは、現場見学とかいくつかの問題とか伺ってて、本当は5時に終わる予定だったのが、

あっという間に6時半まで。

 

あとは、直行で帰って、出張帰りの定番、郡山駅前の味噌屋でラーメン食って、帰りました。

 

埼玉工場の人たちは、工場長以下、ほぼ全員が生産を止めて、一日中付き合ってくれた。

(こんなこと、会社には言えないから(上の方から、生産止めて何やってるんだ!って言われるかもしんない)、 報告書には書けませんので、ここで感謝の気持ちを伝えておきます。)

このことに感謝するとともに、反面、自分も本当にガンバらなきゃって強く思いました。

ということで、今日はもう寝ます。

おやすみなさい

 

終わり

2007年1月21日 (日)

1月21日

ラス・ビハリ・ボース

中村屋のカレーの生みの親。

中村屋のカレーは食べたことは無い。

郡山では、ココイチとリトルスプーンが有名かな?

どっちもチェーン店だけど。

 

あとは、ふわふわカレーのお店があったが、いつのまにか閉まっていた。

マハラジャとかいう店もあった。あそこはまだ行っていないな。

 

ココイチとリトルスプーンのカレーは全く違うもので、

どっちが良いとかは無くて、そのときの気持ちで選ぶ。

私自身の感覚では、ココイチは家庭的な味、

リトルスプーンはお店の味って感じ。

まあ、実家のカレーの味の影響が大きいのだろうけど。

(了)

2007年1月17日 (水)

1月16日

この日は、特に印象に残ることは見当たらない。

勝新がパンツに大麻を入れていて、捕まったくらいかな。。(ぉぃ)

「何で入っていたのかわからない。これからはパンツをはかないようにする」

って言ったのは傑作だわ。

 

閑話休題

今日、日頃付き合いのある業者の方が訪れ、その際カレンダーをもらった。

それは、ビューラーという顕微鏡観察用試験片を作製する設備、備品

などを製作、販売するアメリカかドイツの会社のカレンダーなのだが、

その絵柄が、さまざまな物質の顕微鏡観察写真なのである。

ビミョーな絵柄ばっかりの上、それが何かも書いていないので、

一同(・-・)?→(´A`) であった。

 

そんなカレンダーだが、日付欄には各国の祝日が記載されており、

アメリカでは1月15日(日本では1月16日)は、

Martin Luther King, Jr. Dayとのことである。

何でも、彼の誕生日(1/15)に最も近い月曜日がそうなるらしい。

 

キング牧師については、NHKスペシャル「映像の世紀」で見た、

「I have a dream.」から始まる演説は印象に残っている。

(何だかんだいって、ネタが出てきて良かった)

(了)

2007年1月16日 (火)

1月15日

今日は(も)残業で、遅くなってしまった。

年度末(まだ早いか)は色々と仕事があって大変だ。

本年度の総括、来年度の計画案作成とかあって。

早く済ませて、スノボーに行きたい。。

 

てなわけで、1月15日。

1181年 平重衡が東大寺、興福寺を焼討ち。

重衡は清盛の5男。焼討ちの経緯はこうだ。

奈良の僧兵たちが平氏政権に反発して騒いだので、

清盛が交渉のために部下を派遣させたところ、

あろうことか僧兵たちはその部下たちの首を刎ね、晒し首とした。

清盛は激怒、重衡を派遣し、戦闘の結果、東大寺、興福寺などが炎上、

大仏も焼け落ちてしまった。

 

俺から言わせれば、人心の安寧を生業とする僧が武装し、

あまつさえ首を刎ねるなんて、以ての外だ。

清盛が激怒するのも当然だわな。

 

重衡は、その後、一の谷合戦で源氏方に捕らえられ、鎌倉へ送られた。

そのときの毅然とした態度に、源頼朝が感服したとか。

(これは平家物語における、兄・宗盛の無様な最期と

対照的にするための強調なのかもしれないが)

 

重衡の最期はあわれなものであった。

結局、平氏滅亡により、重衡を確保しておく理由も無くなり、

以前から引渡しを要求していた奈良僧兵の元へ送られ、

そこで僧兵達により打首となってしまった。

 

吉川英治の「新・平家物語」では、人質として鎌倉滞在していた

重衡と、身の回りの世話をした女性・千手とのはかない契りが印象深い。

以前に新・平家に嵌り、文庫本すべてを買って読んだ。

今でもうちの本棚に並んでいる。

本当に名作だと思う。

 

あまりに嵌ってしまって、史跡巡りまでしてた。

京都~神戸~厳島~壇ノ浦ってね。

山陽電鉄・須磨寺駅前に重衡捕えられの遺跡がある。

ここのエピソードも興味深い。

http://www.city.kobe.jp/cityoffice/87/sightsee/siseki.html

 

話は変わるが、何でも今日はウィキペディアの誕生日らしい。

いつもお世話になっていますm(_ _)m

(了)

2007年1月15日 (月)

1月14日

ウィキペディアによると、今日は進藤達哉の誕生日らしい。

というわけで、記念すべき第1回は、彼の思い出について。

進藤達哉は、元プロ野球選手で、今はベイの内野守備コーチをやっている。

富山県・高岡商業高校出身で、ドラフト外で大洋ホエールズに入団した。

(秦野時代の同僚の小川くんは同郷で、進藤から手袋をもらったことがあるらしい。

毎日、進藤やベイ、阪神(彼は阪神ファン)のことを話していたことを思い出す)

俺が大洋ファンになった頃、進藤はまだ若手で、

1軍に上がったばかりの半レギュラーの内野手であった。

(調べると、87年入団とのこと。俺は高2の時に大洋ファンになったが、

まさにその年である)。

当時はショートが多かった気がする。高橋雅裕、永池恭男らとレギュラーを

争っていた。

守備はその頃から上手だったらしいが、その頃はあまり印象に無い。

その後、94年頃からレギュラーを確保しだした。

なぜ、守備の話をしたかと言うと、彼の守備は本当に素晴らしくて、

彼のファインプレーによって、窮地を脱したことがいくつもあったのである。

佐々木主浩がハマの大魔神と言われたが、進藤はまさに守備の大魔神であった。

今でも覚えているのが、98年の大阪ドームの阪神戦、

2000年の神宮でのヤクルト戦のプレーである。

ベイファンなら、誰でも覚えていると思うが、これ以上のことを話し出すと、

いつまでも書いていそうなので、知りたい人は俺か近くのベイファンに

直接聞いてください。

こんな進藤でも、日本シリーズの第6戦、

勝てば日本一の試合で1点リードの9回表にファールフライを落球したのは、

照明が目に入ったのかもしれないが、緊張していたのかもしれない。

打つ方では、リストを生かした強振バッターだった。

98年の東京ドームで、金石から逆転ホームランを打ったこと

(その時、俺は寮でラジオを聴いていて、実況を聞いた瞬間、床に大の字になって、

ガッツポーズをしたのを覚えている)、

それから、有名なシーンだが、10月8日の甲子園での逆転タイムリーだろう。

俺も多くのベイファンも、この話をしだすと、1時間は話すだろうね。。(^o^)

あと印象深いのは、応援歌のメロディーがインディジョーンズのテーマに似ていたこと。

ロバートローズ、石井琢朗の応援歌とともに、

当時付き合っていた彼女とよく電話で歌っていたものだ。

思い出は尽きないが、そんな彼も優勝後は苦労が多く、

若くして現役引退した。今はコーチ業である。

村田をバシバシ鍛えてやって欲しい。

(了)

※何か改行がヘン。 後で直そう。

(新)今日は何の日

突然再開することとした。

というのは、お風呂に入ってぼーっつとしていたら、

急に、自分の思い出や考えていたことを、書き留めて置きたくなったから。。

ということで、日付に関連して何か書いていくこととします。

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